旅行

国宝五城の見どころや魅力

国法5城

お城の魅力

個人的にはお城の「造形美」と「石垣」の存在感に圧倒され魅了されます。

歴史はあまり詳しくありませんが、関心が無くても現地を訪れる事で「知らないことを知る」楽しさがあります。お城に訪れた際により楽しむには、どこに着目すれば良いのか、城は日本の伝統的な木造建築であるという見方で見るとこれもまた楽しむポイント。

多層階の建築物を作るために上下のフロアを貫く「通し柱」、柱を梁などをつなぐための継ぎ手の手法などという建築技術。

その時代時代の生活様式や価値観、美意識を垣間見ることができます。また時代を追うごとに建築技術がどのように発展していったのか学べるのも、個人的に面白いと感じます。

城が建つ場所の地理・地形に魅力を感じる人もいますし、戦いの歴史、武将など人の歴史、城が立つ地域の歴史も魅力。

姫路城石垣

そしてもう一つの魅力。近世城郭の大きな魅力のひとつである石垣。城の縄張に合わせて複雑に折り曲げられたり、天守や櫓が載ったりするため、石垣は崩れにくく長持ちする強固さが求められました。石垣全体の強度を上げるために特に注意深く積まれたのが、石垣の角っこにあたる隅部です。隅部の石垣は積み方が難しく、さまざまな工夫が重ねられた結果、最良の工法とされたのが「算木積(さんぎづみ)」という積み方です。算木積では、長辺の長さが短辺の長さの2~3倍程度になるよう石材を整形。そして、写真でもわかると思いますが角の長辺と短辺が交互にくるように積み上げていくのです。算木積を知れば石垣の築造年代がある程度判別できる!ということなのです。完成形の算木積なら慶長10年以降。整然とした完成形でなければそれ以前。そして長短の差が小さい退化した隅部なら江戸中期以降。

石の加工の仕方や積み方などを知れば、お城の見方が変わるはず!

松本城、彦根城、姫路城、松江城犬山城を順に紹介していきます。

松本城の魅力

長野県にある松本城 別名烏城 (外壁が黒漆塗装)? 又は松本城の前身であった「深志城(ふかしじょう)」?

天守の築造年代は文禄2~3(1593~4)年と考えられ、五重六階の天守が現存している日本最古の城

松本城の最も注目な特徴は、北アルプスを借景にした雄大な景色の中に立つ平城の天守閣。

白い漆喰と黒い漆塗りで彩られた外観が美しく、背景にある北アルプスの山々によく映える美しい城としても有名です。特に黒漆が塗られた天守は全国でも松本城のみで、毎年9~10月に塗り直し作業が行われ、優美な姿を保っています。

冠雪した北アルプスと漆黒の松本城を一望する眺めは見事で、一見の価値があります。天守を囲むように巡らされた水堀には、北アルプスの山々と天守が映り込み、晴天で風がなく水面が穏やかな日は絶好のフォトスポットだそうです。城と一緒に、鮮やかな朱色の「埋橋」(うずみばし)が入るような角度からのショットがとても人気があります。

この写真は10年前に撮ったものです。当時は「埋橋」は工事中だったのですが、今も老朽化で渡れないそうです。

彦根城の魅力

滋賀県にある国宝天守の彦根城 別名金亀城(こんきじょう)

伊直継(なおつぐ)・直孝(なおたか)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられています。

天守は牛蒡積(ごぼうづみ)と呼ばれる石垣は自然石を使い、重心が内下に向くように作られ、一見すると粗雑に見えますが強固な造りです。石垣を含めた高さが23mの天守は、意外にも小さいことに気づきます。

城内を見学する時は、荷物は小さめのリュックかショルダーバッグにして両手を空けるようにして、手提げバッグは避けた方がいいです。またスカート・ストッキングで行くのは絶対オススメしません。ハシゴのような階段を見た瞬間、角度が半端じゃないと思いましたね。その階段の角度はなんと65〜67度で2度ビックリ!まだ上りはいいのですが、ハシゴ状の階段を前向きに下りなければならず素足で行かれた方がいいと思います。

彦根城の見所のひとつが、この天秤櫓(写真中央)です。メインゲートである表門から石段をのぼると、こんなふうに迫力ある石垣と櫓、そして大きな橋が見えてきます。
この部分は尾根を削りとってできた道で、「堀切(ほりぎり)」と呼ばれます。

時報鐘(写真右)は城全体に響くようにと『鐘の丸』より移されたもので、今も定時に鐘がつかれ「日本の音風景百選」に選ばれています。

ユニークで人気がある彦根市のキャラクター「ひこにゃん」

しぐさが面白く和ませてくれました。1日数回ひこにゃんが天守閣前の公園などに出没するようです。時刻表が彦根城入口に書かれている様です。

彦根城の天守が見えるこの景色は玄宮園から。名勝、特別史跡、国宝の3つがそろって見られるのは、全国でもここだけなんだそうです。落ち着いた雰囲気で庭園の散策を楽しめます。

松江城の魅力

天守閣は国の重要文化財に指定されている島根県の松江城。別名千鳥城とも呼ばれる。

千鳥が羽を広げたような曲線の屋根を「入母屋破風」と言い、それが東西南北の四方に乗っていることから千鳥城とも呼ばれるようになったそうです。

松江城は400年以上前から、高さ30メートルの天守は桃山様式の天守として築城当時のままの姿で壊れたり燃えたりすることなく残っています。

松江城は実践本意の造りで、守りと攻撃の両方に優れた特徴があります。天守閣も古い材木そのままで歴史を感じます。築城時は木材が不足のため姫路城の心柱のような大きな柱を作る木が手に入らなかったため、心柱を使わない2階分の短い通し柱を配置して天守を支える構造となっています。天守の柱308本の柱のうち96本が通し柱

階段は板の厚さ約10㎝、階段の幅1.6メートルで1階から4階の各階に設けてあります。防火・防腐などのために桐材を使ったと考えられるようです。
4階から5階への階段はクリ材が多く使われています。こちらも城内の階段が狭くハシゴの様な状態で一段が高くてきつい。もちろん下りもつらかったですが天守閣からの眺めは抜群でした。素晴らしかったです。

天守最上階は「天狗の間」と呼ばれ、室内には壁がなく城下町を360度展望できるつくりです。周りに高い建物もないため、天気がよい日には美しい宍道湖を一望出来ます。この日はあいにくの曇り空でしたが、かすかに宍道湖が見えました。

周辺は「松江城山公園」として整備され、約200本の桜が咲く桜の名所として有名。「日本さくら名所100選」にも選ばれている。

姫路城の魅力

兵庫県にある姫路城1993年(平成5年)に、世界遺産として登録されています。

またシラサギが羽を広げた姿に似ているところから「白鷺城」とも呼ばれている事は有名です。

さらに、現在も残る12天守の大天守・西小天守・乾小天守・東商店主と4つの渡櫓、合計8棟が国宝として指定され、その中でも姫路城の大天守は一番の見所です。大天守の内部はその外見からは予想もつかないような、武骨で機能重視の造りになっています。有事の際を想定した城としての工夫が随所にみられる姫路城大天守は一番の見どころだと思います。
姫路城の構造は木造ですが、その木組み構造は非常に緻密です。400年以上も前の木造建築で、敵から守る工夫や、からくり仕掛けなど、内部に魅力がつまっています。

大天守は池田輝政が当主となった時に行われた城の大改修の際に増築されました。日本における木造建築を代表するものとして重要な建造物です

姫路城は、メインの大天守が、東西に幅広い長方形、他の3つの小天守が、正方形の建築様式で建てられています。

大天守最上階の長方形は江戸時代の様式で、小天守は桃山時代以前の様式となり、二つの様式が併存しているのが特徴です。是非行かれた時は柱の構造を見てください。

また姫路城の石垣は、羽柴秀吉の築いた城の縄張りを残しながら、池田輝政が今有る天守台を造り、本多忠政が西の丸を増設・拡張という3度にわたる築城の大きな流れのなかで、石垣も工期によって3期に分類され、それぞれ積み方などの特徴が異なるようです。

*2015年に撮影したものです。現在とはかなり様子が変わっていると思います。

なぜ、こんなところに神社が?と最上階に行った人はびっくりされるにでは?

ひと言でいうと姫路城の守護神。姫路城が建てられる前から姫山に祀られていた神社。

守の最上階にある神社を奉ったのは、池田輝政(いけだてるまさ)が城主の頃。
池田輝政は、1601年から1609年にかけて、姫路城を中世平山城から大規模な近代城郭に造り変えた大名です。

大天守からの眺めも壮観です。城内を一望することができます。この日はどんよりした曇り空で視界が悪く眺望の良さを伝える事が出来ないのが残念。

また姫路城には、測量の基準となる点「この下に三角点の標石あり」という表示の石が大天守南側の備前丸南東側のベンチの近くの敷石の所にありますので、時間にゆとりがある方は是非立ち寄ってみてください。

犬山城の魅力

国の重要文化財に指定されている犬山城だけまだ行っていないため情報のみになります。

別名「白帝城」(はくていじょう)と呼ばれています。白帝城と呼ばれるようになったのは江戸時代。荻生徂徠(おぎゅうそらい)という儒学者が、中国の詩人李白(りはく)の詩にちなんでネーミングしたといわれています。

日本の愛知県犬山市にある平山城というタイプの城で、現在も築城当時に近いとされる姿を残しており、天守閣は日本最古の様式。歴史と美しさを持つ城です。

犬山城のように、築城当時の天守を残しているお城は非常に貴重です。日本のお城のほとんどは、戦国の戦乱や明治期の廃城、その後の戦争等で失われています。

また犬山城が位置しているのは木曽川の南岸、標高85メートルの崖の上。背後は断崖絶壁ですので、攻め入ることが難しい天然の要塞といえます。

1階部分と2階部分は築城当時の建造物が残っているとされており、およそ500年前の建築を間近で観覧できます。犬山城はその気品ある佇まいだけでなく、天守からの景色を楽しめるお城。かの織田信長も感動したと言われている365度の絶景は必見の様です。

犬山城の天守の屋根の角を飾るデザインをした瓦。古代中国の伝統から借用されたこれらのシンボルは、城の安全を願い、悪を追い払うことを目的として亀の甲羅に桃がのった形をした魔よけの瓦です。

<豆知識>

天守と天守閣は、古い文献や絵図に使われているのは「天守」です。なかには天主・殿守・殿主との記載もありますが、どれも読み方は「てんしゅ」。

*その天守には、4つの役割がありました。

1つ目は、城内外の監視のための、物見櫓としての役割です。
2つ目は、最終の防御設備としての機能。つまり、最後の砦・籠城場所としての働きです。
3つ目は、武器や食料・資金の備蓄場所としての倉庫的な役割です。
そして4つ目は、権威の象徴。天守は城の権威のシンボルとして継承されました。

この4つの役割からもわかるように、天守は「戦い」のための建物です。

石の「加工の仕方」で分類した3種類を、歴史の古い順にご紹介

野面積みは、文字通り、自然のままの石をあまり加工せずに積み上げたものです。主に、鎌倉時代末期〜安土桃山時代に使われていました。

自然のままの石を組み合わせて積んでいくので、どうしても石と石の間に大きく隙間ができてしまい、敵に簡単に登られてしまうという弱点があります。その反面、排水面で優れていて、大雨が降ってもその隙間から水が抜けるので崩れにくく丈夫です。また、石同士が密着せずに「遊び」の隙間があるため、地震の揺れにも強いと言われます。

打ち込み接ぎは、石の表面や石が接する部分を打って打って、石同士の隙間が小さくなるよう加工したものですそれでも隙間ができてしまうので、野面積みと同様に間詰石(まづめいし)で丁寧に隙間を埋めてつくられています。表面も真っ平らではなくて、凹凸があります。

切り込み接ぎは、石を徹底的に加工して石同士の隙間をなくして密着させたものです。表面も平らですし、隙間はほとんどありません。これは江戸時代に入ってから広まった石垣のつくりです。切り込み接ぎは、加工にとても手間がかかる石垣なので、お城すべてがこの加工方法でつくられたところはありません。切り込み接ぎは門や天守台・石垣の角の部分(隅石(すみいし)と言います)など、美しく見せたい部分にポイント使いして、打ち込み接ぎと組み合わせて使われました。